Living Loving Leuven

溜池や ナマズ飛び込む 水の音

差別事件発生?!

 ついにオランダ語学校の1回目の試験を迎えたのですが、予想外にしんどいできごとが起きてしまいました。もちろん、試験のでき(特にリスニング!)はボロボロで、がっくりきたのはあります。でもまあ、それは仕方ありません。問題は、先生との関係で私が「もしかしたら差別されてる?」と思ったことです。
 私の先生はベテランの女性で、とても学生のことを気遣っていますし、楽しく授業を進めています。私は彼女は非常に熱心な教師なので尊敬しているくらいです。授業の進め方で勉強になることもあります。ただ、彼女は、いつも私に対して「ストレスを感じてるんじゃない? あなたは日本人だものね」と聞いてくるのが、少し困惑することでした。
 確かに、一週目は私は緊張していたし、全くオランダ語がわからず、とてもストレスを抱えていました。なので、彼女が気遣ってくれるのは嬉しく思っていました。ただ、二週目、三週目と進んでいくと、私の方も慣れてきます。そもそも私は「萎縮する」という言葉と無縁の性格ですし、周りと比べることもあまりしません。大学院時代に、指導教員にもう少し周りと比べて自分を追い込め、と叱られたくらいです。(指導教員には「嫌です、他人と比べる必要はなく、私は私です」と言い返しましたが)ただ、本当にリスニングの能力が低いので、「全くわからんな」と思って教室で座っていることもあります。わかったふりをするという習慣もないので「さっぱりだね」と遠くを見ています。そうすると「ストレスを感じているんじゃない? あなたは日本人だもの、でも心配しなくていいのよ」と彼女は言います。「いや、全然ストレスはないです。でも、答えはわかりません」と私は返します。この不毛なやりとりが、この1ヶ月、延々と続いていました。
 私が気にしなければいいのだけれど、彼女が「あなたは日本人だから」と繰り返すことに、「それ、どうよ?」と思っていたことは確かです。彼女はどちらかというと私のことを気に入っていて、朝は「こんにちわ」と日本語で挨拶をしてきます。私はそれも不自然に感じていて、彼女は他の学生には「あなたはXX人だから」とか、その国の言葉で挨拶はしません。特別扱いされて嬉しい学生もいるのかもしれませんが、私は「先生のお気に入り」になることに全く興味がないので、「ああ、めんどうくさい」と思っていました。(ちなみに彼女が知っているのは「こんにちは」と「寿司」だけです。本気で日本に興味があるわけではありません)
 そして、事件が起きたのは、面接試験の直前のことです。この学校の試験は、ペーパー試験と面接試験に分かれていています。面接試験では、学生同士が指定された時点に教室によばれ、ペアで会話することを求められます。私はイランから来ている女子学生とペアになりました。時間になって教室に入ろうとすると、先生がやってきて、私に「あなたはストレスを感じてる?」といつもの質問をしました。私はそのとき、もう前半のペーパー試験で疲れていて気もそぞろだったのですが、一応「ええ、少し」と答えました。すると、彼女はこう言いました。
「もちろん、あなたはストレスを感じている。だって、あなたは日本人だもの。もし緊張していないなら、私はあなたが薬を使っていることを疑う」
 私は一瞬、「は?」と硬直しました。薬を使う……? それって覚醒剤のこと? それともスマートドラッグ? もしくは、私が情緒に問題があって処方薬を飲んでいると? 一瞬で頭のなかを巡りました。
「この発言、アウトじゃない?」
 彼女が本気で言っているのではなく、ジョークで言ったとはわかっています。でも、一線を越えているのでは?と思いました。もう少し、率直に言うと、「あ、私、舐められてるんだな」と感じました。
 でも、面接試験の直前で、私はすぐにオランダ語の会話をしなければなりませんでした。彼女は終始、私とペアのイランからの女子学生に親切でした。でも、緊張していたのは私ではなく、ペアの女子学生の方です。彼女は私よりはるかに良く、リスニングもスピーキングもできていましたが、声は震えていました。私はその間も、「なぜ、彼女より私がストレスについて心配されなければならないのか」と頭のなかでチラチラとよぎります。ただ、それは顔には出さず、試験は乗り切れました。
 試験の後、私は「これは、このままにしておくことはできない」と思いました。そして、大学の図書館に行き、先生に対してメールを書きました。できるだけやんわりと、攻撃的にならないように、彼女にお礼を述べながら、私は「ストレスを感じるかどうかは、国籍ではなく、本人の性格や環境で決まります」と書きました。そして、ヨーロッパから来た人たちの多くが、日本で日本語を話すときにはストレスを感じるけれど、それはかれらがマイノリティであるからだと言いました。つまり、私がストレスを感じるとすれば「日本人だから」ではなく、「言語マイノリティだから」が正しいのだと伝えました。何度も修正して、問題がないか確認してから、私はメールを送りました。それで「気が済んだ」とそのときは思いました。
 でも用事を済ませて家に歩いて帰ってきながら、急に「あ、これって差別なんだ」と気付きました。なぜなら、私が彼女に対してやったことは、全て日本でセクハラを受けたときに年上男性に対して行なってきたことだからです。相手を怒らせないように気遣いながら、感謝を伝えつつ、問題があったことを慎重に指摘する。私の立場が弱いからです。さらに、ずっと、「あなたは日本人だからストレスに弱い」と言われてきたことは、紳士ヅラをした男性の「あなたは女の子だから弱い」という言葉と全く同じでした。かれらは自分のターゲットを決めて、勝手に像を造り上げ、それに当てはめて私を人形のように扱い、従属させようとします。だから、私がストレスを感じているかどうかの事実に関係なく、「日本人」の紙芝居を私は演じさせられていました。それに気づいたとき、感じたのは恥辱です。いつの間にか弱い立場に置かれ、一方的に庇護対象にされたことに対する屈辱に加えて、それに気づけなかった自分の甘さを恥じました。「ああ、ベルギーにきたって、やられることは一緒なんだ」という諦めと怒りと、失望が襲ってきます。
 もちろん、全ての人がこういうふうに怒り狂うわけではありません。きっと、日本人学生として彼女に庇護対象にされることが心地よいと感じる人もいるでしょう。また「これくらいのことで」と思う人もいるでしょう。私はそういう感じ方を悪いとは思いません。その人はその人、私は私。私は嫌だったし、それを言う機会が与えられなかったことに、感情が爆発しました。私は事務室のスタッフにもメールを送り、この教員との関係に問題があり、ひとりでは抱えきれないという連絡をしました。
 私はこの夜、ほとんど眠れませんでした。何度もうとうとしては、災害に巻き込まれるという夢を見ました。彼女の一件が、私が日本で耐えてきたセクハラと重なって、よみがってきてつらかったのだと思います。しんどい夜でした。