Living Loving Leuven

溜池や ナマズ飛び込む 水の音

良い教師ってなんだろう?

 こちらの研究科の友人Aとランチをしました。彼女が語学学校のことも紹介してくれたのですが、「実はやめちゃったんだよね」という話から「ぜひその話を聞かせて」と促してくれたので、自分の身に起きたことを話しました。
 最初に言われたのは「あなたが、ストレスを感じやすい?! なんでその先生がそう思ったのかわからない。あなたはポジティブでオープンで、いつも積極的に議論でもコメントしてるし。 どちらかというと、とても積極的で楽観的な人に私には見えるけど」と言われ、「そうだよね、私もそう思ってたからアイデンティティクライシスなの」という話になりました。彼女も「その先生はよくある失礼な発言とは次元が違う発言してるし、差別だよ、それ」と少し暗い顔に。
 そして、話題は人々が抱きやすいステレオタイプのことに移っていきました。彼女はポルトガル出身だけれど、語学学校ではやはり何度もステレオタイプによって、いろいろと言われたことがあるとの話でした。「そういうのは気分良くないよね」と共有。そうだよねえ、いいイメージでも、悪いイメージでも、そういうのは良くない。
 彼女がA1で受講した先生は、若くてまだ経験もあまりないらしく、とにかく学生からのフィードバックを求めていたそうです。授業後にアンケートをとり、どんなニーズがあって、どんな不満があって、何が足りないのかを探りながら授業を進めていったとのこと。その授業は彼女にとってはとても居心地良く、授業の雰囲気もどんどん良くなっていったそうです。
 私がそこで言ったのは「教えるって難しいよねえ」ということでした。私の先生は、ベテランで年齢も上であって、オランダ語の教えかたにも自信を持っているように見えました。彼女の中では、民族をステレオタイプ化してジョークを言うことは、みんながリラックスして楽しめる雰囲気作りになると信じている様子でした。それは、彼女のこれまでの経験から得た確信なんでしょう。でもその結果、私はとても嫌な思いをして、異議申し立てをする羽目になりました。
 もしかすると、彼女の授業のやり方は30年前のベルギーの語学学校ではとても良かったのかもしれません。今より、政治的にセンシティブであることよりも、もっとジョークが重視されて、なにもかも笑い飛ばすことが良いことのような、そんな雰囲気があったのかも。でも、それは、今では差別でしかない。
 こういうことは、日本の学校でもよくあるように思います。えてして、教員は「うまくいった」記憶に引きずられて、「うまくいってない」ことを見逃します。(これは私が教える立場になったときにも感じること!)そして、うまくいかない理由を、学生の側に探すことは、教員にとってとても簡単です。なぜなら、教員の方が立場が上だから。学生にとって、初めての授業でも、教員にとっては何十回目かの授業であって、なにか違和感があっても「気のせい」になってしまう。
 だからこそ、学生からのフィードバックが要になるのだと改めて思いました。学生に媚びる必要はないし、学生からの意見を全て取り入れる必要もないでしょう。でも、「自分の勘」を信じてはいけない。時代は刻々と変わる中で、学生も変わってきているし、ニーズも変わる。
 「教える」って怖いことだなあと、改めて思いました。