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溜池や ナマズ飛び込む 水の音

ワロン民俗博物館(Musee de la Vie wallone)

 リエージュのワロン民俗博物館を見学しました。これまで、フランドル地方一辺倒だったのですが、ずっと「ワロンとはなにか?」が気になっていました。ワロン地方はフランス語圏で言語紛争があったのは知っていましたが、どういった経緯で地域の独自性が発揮されるようになったのか謎でした。その謎を解く、一番良い施設がワロン民俗博物館です。ここは昔は、いわゆる郷土資料館のように民具や生活用品を展示していたらしいのですが、いまはワロンの人々の暮らす風土、歴史、文化などを総合的に学べる充実した博物館になっています。説明はフランス語中心ですが、英語のオーディオガイドが無料で借りれます。
 ワロン地域の人々が、アイデンティティを明確にして行ったのは19世紀のようです。当時、ドイツのように国家を民族共同体であり、その基盤は言語にあるという潮流があるなかで、フラマン語オランダ語)とワロン語(フランス語)を話す人たちの集合としてのベルギーは、やや特異な国家でした。さらに、ワロン地域の人々は、フランドル地域の人々がフラマン語の言語共同体のアイデンティティを持とうとするのに対抗的に、フランスではないフランス語話者として自分たちの地域のアイデンティティを確立させていきます。その旗印となったのが、黄色の地色に赤で印刷した雄鶏のマークです。f:id:namazu_2021:20211013231055p:plain
 そして、実はワロン地域はベルギーにおける近代化の発火点でもありました。ブドウを入れたカゴを背負った女性たちがシンボルとなるような農村に、陶器をはじめとした近代的な商品を生産する工場が建ちました。さらには、炭鉱ができることにより、あっという間にワロン地域はベルギーの経済の中心地となります。鉄道が走り、近代的な運河で貨物船が行き交うようになります。そのなかで、地域の人々は過酷な環境のなか、安い賃金で働かされて疲弊していきます。農民たちの生活は一変して、都市労働者のものに変わっていくのです。生活環境の悪化のなかで、社会主義に指示が集まるようにもなっていきます。そして、ワロン地域の社会運動が盛り上がって行ったのでした。
 その片鱗が見えるのが、ワロン地域の文学運動で印刷された冊子の表紙の版画です。社会主義といえば版画! 私は版画が好きなので眼福でした。
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 ワロン地域の社会運動は、第二次世界大戦後にも引き継がれ、1960年には大規模なストライキが行われた上、女性労働者たちの運動も激しくなり、その後のフェミニズムの躍進にも繋がったそうです。(博物館はここで歴史は終わってしましたが、他方、戦後は炭鉱業の衰退とともに、ワロン地域の経済は停滞するようになります。そして、フランドル地域の税収に依存して社会保障を得ているという批判が起きるようになります。両地域の対立・分裂の危機は21世紀に入る頃まで続きます)
 これまで、ワロン地域のイメージは、「美しい村」やディナン、ナミュールのような風光明媚な観光地のみでした。なにより、ルーヴェンからは乗り換えが必要だったり、車がないと不便だったりで、足を伸ばすのも億劫になりがち。でも、今回の民俗博物館でやっと、ワロン地域の歴史に少し触れることができて、俄然興味が湧いてきました。これから探索するのが楽しみです!