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溜池や ナマズ飛び込む 水の音

ブレンドング要塞(ナチ関連博物館)(Fort van Breendonk)

 友人Aとブレンドングという小さな街にあるナチ関連博物館に行きました。まずは町のカフェでベーグルサンドイッチを食べたんですが、地元のおじさんたちの社交場のようで、店に入った瞬間に全員がこちらをみて「誰?」という顔をしました。Aはあとで「西部劇で、バーに入ったときにガンマンたちが振り返るやつだね!」と笑っていました。店員さんはとても親切でサンドイッチは美味しく、すっかり長居しておしゃべりしてしまいました。いいお店でした。
 そのあと、歩いて町の外れにある博物館へ向かいます。夕方で天気が悪かったのもあり、要塞のものものしい雰囲気がぞっとするようでした。
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 博物館の前にあったオブジェ。
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 ブーツが人々を押しつぶそうとしています。
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 このブレンドンク要塞は、主に社会主義者などの政治犯が収容されていました。実際の収容バラックや拷問部屋も見学できます。拷問部屋は、両側を白い壁に挟まれた細い通路を通った向こうにありました。拷問に使われた天井から吊るされた鉤爪も残っており、みてるだけで口の中が乾いてしまいました。フェデリコ・フェリーニの映画「無防備都市」を思い出しました。
 展示では、収容されていたレジスタンスたちが紹介されています。ジャーナリストやアクティビスト。そして若い学生たち。かれらのプロフィール、所属団体、その後の人生(ここで殺された人もいます)が写真に添えられています。そして、私が立ち止まって何度か解説を聞き直したのはこの人です。
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 彼は左翼社会主義の雑誌のジャーナリストでした。彼はナチに捕まり、協力しなければ家族全員を殺すと脅されて屈しました。そして、彼は拷問部屋で収容者が虐待されている前で、記録を取りました。戦後、彼は逮捕されて赦しを乞いましたが、彼の望みは受け入れられませんでした。そして、死刑になりました。私に彼に対して言うべきことは、いま、何も思い浮かびませんが、ただ「私が彼だったら?」と頭の中で問いがぐるぐると回りました。
 屋内展示を見た後にはもう日が暮れかけていました。これは収容所から見える鉄条網です。
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 これは収容者の死形場。多くの人たちが銃殺されました。
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 いつもこうした施設を見学した後に思うことは、人間が愚かで醜悪でありながら、自然の風景はいつも美しいということです。そして、人の作る社会はどうあるべきか、ということです。
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